スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

他人の何気ない一言に助けられた  

何気ない一言に助けられた
(出典:やなせたかし/アンパンマン)

はじめまして
ふくろうと申します。

数年前の話しです。

仕事も資格の勉強も家族とも彼氏とも上手く行かない時期がありました。本当に自分がやっていることが何も報われなくて、

毎日悩んでいた時期でした。

ある日残業で終電がなくなったので、タクシーで帰りました。家の近くに着き、支払いを済ませタクシーを降りようとした時に、

『暗いから気をつけて帰るんだよ』

と運転手さんが言いました。

なぜかはわかりませんが、この一言がすごく嬉しかったんです。家に着いてから思いっきり泣いたのを覚えています。
泣いた後はスッキリしてました。

なんでもない一言ですが、当時の私はこの一言に助けられました。

皆さんも全く知らない人の一言に助けられたこと、ありませんか??



1.苺 2010年4月19日 16:20
電車で

酷い振られ方をしてそこそこ混んでいる電車の中で声を殺しながら泣いていました。

中年の男性が降りがてらに「明日、明日!」と言いながら肩をポンと叩き
ミント系ガムをくれました。
もうその優しさが即座に心に触れてハンドタオルで顔を覆ってギャー泣きしてしまいました。
その男性はお地蔵様の様な穏やかなお顔と空気感で一瞬で優しさが伝わってきたのです。
何時もは電車の中で乗り合わせた人を気にも留めないのに。

この場を借りて
人の優しさに思いがけず触れた後の幸せな気持ちを有難うございました。



2.情けない母 2010年4月19日 17:08
「おっ、可愛いな!」

息子の障害が判明して、どう死のうかと、毎日考えていました。

子どもの手を握り締めて、行きかう車を見つめながら、飛び込もうかと思っていた時です。通りすがりのビジネスマンが、「おっ、可愛いな!」と言ってくれたんです。

全くの見ず知らず、あまり子育てにも参加できてそうにない(失礼)、忙しそうな男性が、息子を可愛いと言ってくれた。私の子どもは、他人様から見ても可愛いんだ、じゃあ、もう少し生きてても良いかもしれないと思いました。

あの辛かった日々、何人もの通りすがりの方が、息子を可愛いと言ってくれました。

情けない母親のために、菩薩様が降りてきてくださったのかもしれません。



3.ami 2010年4月19日 17:08
素敵なトピですね・・♪

あったかい気持ちになれるトピですね。

私は、全然妊娠しなくって生理が来るたびにへこんでいたときに
ネットで見た、「イチローですら3割」っていう言葉にとても勇気づけられました。

すごい人って言われてるイチローですら半分以上は失敗してる。
それを知って、とても気持ちが軽くなったのを覚えています。

妊娠率と打率は、話としては全然関係ないんですけどね(笑)



4.ねこ 2010年4月19日 22:55
「お帰りなさい」

アメリカに単身赴任で半年ほど経った頃です。
周りに日本人も少なく、毎日英語で仕事をし、生活をする毎日。
日本の食べ物からも文化からも全然遠くなっていた頃、強引に一時帰国を計画しました。

空港につくとだんだん日本語が聞こえてきて、嬉しくなってきました。
極めつけは、飛行機の入り口で、日本人の客室乗務員さんが笑顔で

「お帰りなさい」

ジーンと来て、座席で涙が出そうになりました。

実際日本の実家にたどり着いた時よりも、感動しましたね(笑)。



5.春は曙 2010年4月20日 12:09
鬱の人の番組で

いつ死のう?とそれしか考えられなかった時に
電車で何気なく年配の方に席を譲ったら

その人が何度も何度も

「ありがとう」「ありがとう」と頭を下げてくれた。

こんな自分にも「ありがとう」と言ってくれる人がいる。

それが切っ掛けで鬱から立ち直る努力を始める事ができ、

自殺を思い止める事ができた…そうです。

これを聞いて涙が出ました。

私も若い頃、自分が何をしてよいかも分からずもがいていた時期があり、
通りすがりの人の優しい言葉に何度も救われた事がありました。

このトピ読むと、まだまだこの人の世も捨てたもんではないのだな…
と思う事ができました。

厳しく、でも優しく

末永く色んな人と支え合える世の中であって欲しいと願います。



6.ぱぴぱぴ 2010年4月20日 13:41
ありますあります

娘が小さい時の話です。

3歳頃、散歩から帰る時「抱っこ~」が始まりました。2番目の子で甘え上手。「でもおウチもうすぐだから、頑張って歩こう」と私は少し先を行ったところで待っていました。そのうち子供は泣いて、通りすがる人も「可哀想」「もういいのに」など言われて、折れそうになっていた時、ご年配の女性が

「お母さん偉いね~駆け寄って抱くのは簡単だもん。お母さん頑張ってるからあなたも頑張って!」

と子供と私にエールを送って下さいました。その頃、夫にも子育ての事で色々言われていた事もありパンパンだった私は、歩いて来た娘と手をつなぎながら泣いて帰りました。

そして、その夫との生活を打ち切るため家を出たんですが、息子は精神的に不安定になり、警察やら弁護士やら役所やら学校やら、と一人で駆け回る日々。その中でやはり年配の女性に

「一人で頑張ってるのは分かってるよ、みんな見てるよ。大丈夫!自信持って!楽しい人生にするために子供連れて家出たんだから。楽しい事待ってるからね、絶対!」

と言って頂き、気がつけば涙しながらその方とお話していました。

ほんっと、世の中捨てたもんじゃないっす!



7.今3歳 2010年4月20日 13:43
孤独育児でボロボロだった時

スーパーの入り口ですれ違ったおばさんが引き返してきて
「つらいのは今だけ頑張るんだよ!」
と、肩を叩いてくれました。

そんなに思い詰めた顔してたかな?しっかりしなきゃと思いました。

嬉しかったです!



8.のだめ 2010年4月20日 14:10
新幹線の中で・・・

3ヶ月の息子と、新幹線で義理の実家に向かっていた時。
初めての育児で身体も心もヘトヘトなのに
お姑さんに会うのが気が重い・・・と、息子の顔を見てタメ息をついていたら
隣の席のおばさんが、
「可愛いわね。あなたの顔をずーっと見てる。ママのことが大好きなのね」と。

なんだか、すごく泣きそうになってしまいました。
そうかぁ、私のこと大好きなのかぁ・・・って。

重かった気分も、身体の疲れもスッキリして
嬉しそうに孫を抱く姑さんを、笑顔で見守ることができました。

心に余裕がない時は、ちょっとした言葉が心に染みますね。
皆さんのレスを読んで、私も涙が出てきました。



9.シフォン 2010年4月20日 14:25
言葉ではないけど

突然 思いもよらぬ病気の宣告をされ
その頃まだ子どもも小さく 
緊急入院 手術なんて突然言われ
呆然としまた正直 足を踏ん張っていないと
失神してしまいそうな状況な時にあった時 
看護師さんが 私の横に座ってそっと背中に手を置いてくれたその手の暖かさに救われました。

今は 私も元気になり
その後 友人や家族が困っている時
私も相手の背中にそっと手を置いています。

「手当て」って言葉があるけど 
本当の意味って傷ついた相手にそっと触れ 癒す 
こういうことを言うのかなと それ以来思っています。



10.oma 2010年4月20日 15:16
また 帰っていらっしゃい

ツンとくる皆様のレスを読み私も思い出しました。

海外に住んでいますが里帰りは”ゆきはよいよい 帰りはこわい”で日本から戻ってくる時は辛い思いをします。いつだったでしょうか

出国手続きで涙をこらえながらパスポートを提出しました。係りの中年の方が”また帰ってらっしゃい”と優しく言ってくれました。こらえていた涙がどっとでて”ありがとうございます”というのがやっとでした。



11.まんまる 2010年4月20日 17:56
助けられました

何もかもうまくいかなくてマイナスオーラが出まくってた時

車通勤の帰り道、歩道で自転車を押してる汚れたおじさんと
目があったら、クシャ~って笑顔をしてくれた

夜中にコンビニへ買い物に行った時、隣の車のオナベっぼい
人に投げキッスをもらった

33歳で結婚が決まった親友に『神様は私が結婚のかわりにまんまるを
そばに居させてくれているんだってずっと思ってた』って言われた

この三つは今でも私の力になってます。



12.トピ主 2010年4月20日 18:11
トピ主です

昨日立てたトピなのに、沢山のレスがついていて驚きました。

皆さんのレスを喫茶店で読みながらウルウルしています。
はたから見たら怪しい人ですね、私。

ふと思い出して立ち上げたトピでしたが、本当に世の中捨てたもんじゃないなと改めて実感致しました。
そして何より素敵な経験を語って下さった皆さまに まだまだ未熟な今の私は助けられています。本当にありがとうございます!

そしてもう少しだけ 皆さまの貴重なお話、聞かせて下さいませ。
とても勇気づけられます。



13.坂道 2010年4月20日 19:18
表面張力

どんなに辛くても笑顔でいなければいけない職場にて。ひどい振られ方をし 仕事どころではない気分の中 応対した 患者さんに あんたの笑顔は最高だ!と言われた瞬間 涙が 溢れました。また ろくに帰省しないでいた私が いきなり実家に帰り 夕飯を食べていたら 母が 休みのたびに帰っておいで!何回でも帰っておいで!と言ってくれた時 親の有り難みを感じました。



14.プリン 2010年4月20日 19:31
銀行のATMで…

まだ乳児だった息子と
イヤイヤ期真っ只中の娘とATMに並んでいました

自分の番がきた時に限って
ベビーカーに乗せていた息子がぐずり出し

まだ腰も座っていない息子を片手で抱っこし
片手でATMを操作し
冷や汗が出そうでした

すると 後ろに並んでいたおばさんが
抱っこしといたげようと言って
抱っこしてくださいました

そしてお友達のもぅ一人のおばさんと

少子化少子化って言ってるけど
こんな若いお母さん頑張ってるやんなぁ
偉い偉い

と 会話が聞こえてきました

私に言ったのではないかもしれない

でも 誰にも責められる事はあっても評価されない
育児に行き詰まり自信が無かった私には
かなり込みあげるものがありました

人前では泣かないと決めているので
涙流れる事はありませんでしたが
今でも思い出すと 鼻がツーンとします

あんな おばさんになりたいです



15.マ・クベの壺 2010年4月20日 20:14
いいトピですね・・・。

心にジーンとくるお話ばかりですね。

世知辛い世の中ですけど、捨てたもんじゃないなって思えます。

私も一つあります。

数年前の事ですが、仕事もプライベートもうまくいかず、いろいろな感情に縛られて
今思えば雁字がらめになっていました。
そんな時です。小島よしおさんの“そんなの関係ねぇ”を聞いたのは。
そうだ、もう後先考えずに全部投げ出してしまおう!
もう何も関係ない、自分の気持ちを優先して
強く生きるんだと思えました。

あれからかなり図々しい人間になりましたが、
小島さんのおかげでなんとか生きていけそうです。

世の中で小島よしおさんにこれほど感謝してるのは
私だけかもしれませんが、あの時はありがとうございました。



16.ろろたん 2010年4月20日 22:26
愛犬とのお別れに…

私も書き込ませてください。
今年に入ってすぐ、15年一緒に生活した愛犬が天国へ行きました。

亡くなる数ヶ月前から下半身が動かなくなり、車椅子を個人で制作されている方をPCより見つけ、散歩が大好きだった愛犬の為に体型に合った形をお願いしました。

しばらくは自力で散歩にいけるようになった事を嬉しそうに元気に走り回っていました。

最後には散歩もいけず、寝たきりの為、床擦れになり、体がボロボロで、涙を流していた愛犬を、早朝5時まで側にいたのにその後、目を離した2時間のうちに一人きりで旅立ってしまいました。

あと少し側にいれば…
自分よりこんなに小さくて、感情も表せないから怖かったろう、悲しかったろうと、後悔ばかりしていました。

その後、作って頂いた車椅子をお返ししにいき、旅立った事を報告すると、

『そうですか。
家族を悲しませたくなかったから一人の時に逝ったんかな。』

この言葉に救われました。

家族以外には噛みつくし、散歩は延々走り回る、大変な愛犬だったけど、いつも側にいてくれた可愛くて仕方ない大切な家族でした。



17.長女 2010年4月20日 22:33
私も歌詞

15歳になる愛猫が病気で亡くなりました。

入院治療の効果が無く退院しましたが、自力で歩けず、水も飲めず、オシッコも出ず…痙攣を起こすたびに弱っていく愛猫。
最後は私の腕の中で逝ってしまいました。

この子の人生(猫生)は幸せだったのだろうか。病気を治してあげられなかった私はダメな飼主だったのか…

自分を責めて、後悔で押しつぶされそうなときに車のラジオから流れてきたのが、山下達郎さんの「希望という名の光」

愛猫が私に歌ってくれてるんじゃないかと思いました。
すぐにCDを探しに行きました。
発売日は愛猫の命日でした。



18.智子 2010年4月21日 0:33
私もタクシーです。

12歳の時に母を亡くし、
親戚をたらいまわし→施設に入れられて
世の中を見返すつもりで
肩で風を切るような勢いで生きていた20代の頃。

仕事でも先輩後輩上下関係なく
つっかかっていき、言葉づかいも
最低だったある日、社長のおつかいで
現金を持って銀行へ行くことになりました。

で、つかまえたタクシーで、
なにげなく行き先を告げた私に
(○○銀行までお願いします、と言っただけなんですが)

「いまどき珍しいきちんとしたお嬢さんだね、
ご両親、お母さんの育て方が素晴らしかったんだね」と
言われ目的地まで涙が止まりませんでした。

お母さん、褒めてもらったよ!と
今でも思い出すと泣けてきます。



19.マロニエ 2010年4月21日 0:33
情けない母さんと一緒

二十年前、娘が三歳で自閉症だとわかった頃に娘を抱っこしてバスに乗っていました。
車窓を見ながらも考えるのは娘の障害の事、将来に希望も見出せず不安で一杯な私に見知らぬおじいさんがバスを降りる時に一言、「幸せになっておくれやっしゃ。」と声を掛けてくださいました。

その時は神様に声を掛けてもらえたような気がして本当に救われました。いまだに忘れられず、辛い時には思い出して幸せにならなくっちゃ!と思って頑張ってます。



20.もらい泣き 2010年4月21日 2:30
おばちゃんありがとう

溺愛してくれた父を亡くし、何とか喪主をつとめ、
「気丈にふるまって偉いわ」
「しっかりしてて安心した」
などと繰り返し言われるうち、何故か全く涙が出なくなってしまっていた私。

納骨が済み、知り合いに会うのが嫌で家から遠いスーパーに行った時のこと。
食欲が湧かず、空っぽのカゴを持ったままぶらぶらしていると、

「お姉さん!食べていかない?美味しいよ!」

と、実演販売のおばさんが声をかけてきました。
私の顔をのぞきこんだおばちゃんは、

「そうだ、おばちゃんもう帰るとこでさ。
これもって帰って作りなさい。ドレッシングもあげるから。」

と、袋にリンゴとレタス、売り物のドレッシングを入れてくれました。
そして、念を押すように「絶対美味しいから。食べてね。」と言いました。
スミマセン、アリガトウ、とぎこちなく頭を下げ、足早にその場をあとにしました。

おばさんが一瞬、「沢山食えよ」といつも言っていた父に見えた気がして、涙がこぼれてきたからでした。ひとしきり泣いたらお腹が空き、久しぶりに食べ物が美味しいと感じました。

それ以来、リンゴとハムとレタスに白いドレッシングをかけたサラダが大好物の私です。



21.かえるの子 2010年4月21日 2:59
あります

初めての子の育児中に少しノイローゼ気味になり、
すっかり自信を無くしていた時近所の公園で通りすがりの年配の方に
『まあ可愛い!いい笑顔ね、きっとお母さんの育て方が上手だからよ!』と言われ、
何だか認められ気持ちがして泣いてしまいました。

初めての子育てって想像以上に不安だらけ、周りのフォローは大切ですね。
あの時の何気ない言葉に本当に救われました。



22.KL 2010年4月21日 6:43
オバマ政権!

何年もの間在米なのに、他国から帰ってくる度(私にとっては帰ってくる)に入国の際質問攻めに合い、この国にとって私はいつまでもたっても所詮外国人、と心に刻んでいたのですが。 オバマ政権になってから、外国人の私にでも入国の時に長年の在住と判ると、”Welcome home"(おかえりなさい)と言ってくれるようになりました。 おもわず涙が出そうになりました。



23.ひゅるるの音 2010年4月21日 9:56
なんなん

良トピすぎる…。
皆さんのお話で、もう涙腺が決壊しそうです。電車なのに。

留学中色々上手くいかず、ホームシックにかかっていました。ある日学校で他の日本人の子に出会い、二人とも久しぶりの日本語に大はしゃぎ、お喋りしていたところへ先生が通りかかりました。留学生同士でも英語で!がルールの普通校だったので、二人とも慌てて黙ったのですが、先生はニコッと笑って
「もっと喋って。私は貴女たちの言葉が大好き。ひゅるるる、ってまるで妖精が囁きあってるみたい」
と言って、私たちが喋るのを暫く見ていかれました。

当時、満足に授業についていけず、「黄色いサルは頭が悪い」といじめっ子たちに囃し立てられ、自分にも日本人であることにも自身を持てなかったので、本当にあの言葉には勇気付けられました。日本語がそんなにステキな言葉だなんて気づかなかったように、自分にだって凄い部分があるのかも知れない、と。

おかげで自信を取り戻して死ぬ気で勉強し、帰国の頃には学年二位の成績もとることができました。(一位はもう一人の日本人の子)

あの時の先生の笑顔と、ひゅるる、という音は今でも私の自信の源です。
先生、ありがとう。



24.ナニワ娘 2010年4月21日 11:48
いか焼きのおっちゃんの言葉

当時働いていた会社の隣には定食屋があり、そこのおっちゃんはよく職場にデリバリーしていました。安月給だった私は節約のためにお弁当持参で滅多に注文できませんでしたがおっちゃんとは同郷出身で、部内に来られた時はよく方言で話しかけてくれました。

縁もゆかりもない土地で新卒で働きはじめ、最初は意気揚々としていたものの、連日の徹夜仕事や上司からのパワハラ・セクハラで2年目には心身ともに限界に。
そんな時、あまりにも仕事が辛く、自分を慰めるためにプチ贅沢で帰りに定食屋さんがやっているイカ焼きを買って帰ろうと寄りました。

出来上がるまでの間、ボーっとしているとおっちゃんはふと、『そんな暗い顔せんと!お金なかったらたまにうちに来ぃ~!ご飯くらい食べさせたるやん!おっちゃん、○○ちゃんが辛いん見ててわかるけど応援してるから!』と。

そしてイカ焼きを渡してくれました。

家に帰ると、1枚しか頼んでないのに2枚も入っていてその時初めて涙が溢れ、しばらく号泣しました。

3日くらい仕事以外で誰かと喋っておらず人の暖かさに飢えていたようです。

今は転職&結婚して幸せですがまたおっちゃんに会いたいです!



25.どな 2010年4月21日 16:18
娘1歳前後のころ

離乳食をまったく受け付けず、母乳のみの娘に悩んでいました。
夜泣きは一晩に12回。

娘をおぶい、とぼとぼと川沿いを歩いていたら、近所のおばあさんが話しかけてくれました。

「リンゴジュースも飲まないんです」と私。
「おっぱい飲むんやろ?それでええやんか、こんなにぷりぷり肥えとるのに、悩まんでもええやんか」と。

あ、いいんだ、と吹っ切れました。

相変わらず長女には悩まされますが、あのおばあさんの一言に今でも励まされている気がします。



26.やまね 2010年4月21日 17:17
皆さんのお話にウルウル

40代前半で夫を突然亡くし、茫然自失で泣けない眠れない食べられない日々を過ごしていました。
特に食欲は全く湧かず、食べ物を口に入れても味が分からず、無理やり咀嚼し飲み込むだけの食事をしていました。

ある日、友達が「一緒にお昼食べよ」と焼きたてのパンを両手にいっぱい持って来てくれました。

それまで何を食べても味がしなかったのに、その時のパンはいい匂いで温かく、夫が亡くなってから初めて「おいしい」と思って食べる事ができたのです。あまりたくさんは食べられませんでしたがそれでもお腹の奥から力が湧いてきたのを感じ、まだ私は生きられる、まだ頑張れる、と思ったのを覚えています。

その時中学生だった子も今年から社会人になりました。
これまで私達を支えてくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。



27.うめもも 2010年4月22日 10:51
傘に入れてくれた女性

いい話すぎて涙が止まらず、最後まで読めませんでした。

先日、彼氏と大ゲンカの末に別れて、
寂しさと悔しさを常に心の中に抱えている状態でした。

先週の真冬並みの気温で雨が降った朝、
傘を持っていくのを忘れて、駅から勤務先まで一人濡れながら歩いてました。
速足で抜き去った女性が後ろから、
「傘、よかったら一緒に入っていきませんか?」と
声をかけてくれて、傘に入れてくれました。
「今日は寒いから、濡れると風邪ひいちゃいますよ。どうぞ。」って。
結局、勤務先が同じビルだったので最後まで入れてもらい、
エントランスで何度も頭を下げてお礼を言って別れました。
「今日もお互い仕事がんばりましょう」
と笑顔で言われました。

失恋にうちひしがれて、失恋の原因だった彼氏の不幸を願っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
そして声をかけるのだって勇気が必要だっただろうその女性の優しさに涙があふれてきました。
どうかあの人に幸せが訪れてください。
って素直に思うことができました。

落ち込んでないで、前を向こうって気付かせてくれて感謝してます。



28.人間観察 2010年4月22日 13:09
おばあちゃん

中学でイジメられた。
皆から無視され、馬鹿にされ、毎日が寂しくて悲しかった。
ある日帰り道に通る公園で、一人ベンチに座るおばあちゃんに会った。
なぜか惹かれて、少し離れて座った。
挨拶をした。それから仲良くなるまで時間はいらなかった。
毎日学校帰りに公園に寄り、おばあちゃんと沢山話をした。
ある日おばあちゃんに、イジメられていることを言った。
私は嫌われ者なんだよ。って言うとおばあちゃんは

「私はあなたが大好きよ。」

家族以外に大好きなんて言われたの初めてで。本当に救われた。

おばあちゃん、私社会人になりました。今四年目です。
中学ちゃんと通ったよ!

私もあなたが大好きでした。



29.ケロリーノ 2010年4月22日 14:04
幸せになるんやで

小さな地方の営業所でひとりの留守番事務員でした。上司は週に一度出張から帰ってくるのみ。

仕事だけでなく電球の交換からパソコンの配線から何でも一人でやらねばなりませんが、基本的に自由で私の性格には合っていました。
でも一人暮らしだったので下手すると一日誰とも話さずということもありましたが
集配の宅配便のおっちゃん(お孫さんもいるくらいの年齢の方でした)が良い人で
集配に来るたびに世間話したりお菓子をあげたり貰ったりしていました。嫌なことがあった時もおっちゃんの笑顔に癒されてました。そして七年。
途中、おっちゃんがリストラされかかった時もありました。続けられるとわかった時は二人でヤッタヤッタと万歳しました笑。
そして七年目。私は結婚して遠い県へ嫁に行くことになりました。同僚もいないのでひっそり会社を去る最後の日、
いつもの夕方の集配におっちゃんが小さな可愛い花束を私にくれました。
「幸せになるんやで」と泣いてくれました。私も泣きました。
ありがとうおっちゃん。幸せにやってます。



30.みなみ 2010年4月22日 16:33
深夜番組にて

もうずーっと前の深夜番組です。
ギャルが色んな仕事に挑戦するというコーナーで、その日は焼き芋の屋でした。
夜中にリヤカーで「いしや~きいも」と叫びながら屋台を引くギャル。

全く売れずに彷徨っていると一人のおばさんが「下さい」と。
ギャルは「こんな夜中にどうするんですか?」「母がこの(後ろ)病院に入院してるから夜食にね」っと。
お札を差し出すおばさんに、小銭の用意をしていなかったギャル。なので
「あ~、お釣りないからあげます!」と。

そしたらそのおばさん急にボロボロ泣きだしてしまってました。
「こんな夜中に知らない娘によくしてもらって」って。

たぶん、そのおばさん、毎日の中で凄く疲れていたんだと思います。
自分では意識していないけど張りつめた毎日に貰ったちょっとした優しさ。

なんだか、おばさんを思って深夜のギャル番組見ながらボロボロ泣いてしまいました。



31.まり 2010年4月22日 19:13
電車の中で中国人ママに

4年前の雪が降る寒い12月
主人が脳腫瘍内出血し救急で搬送され、腫瘍が悪性か良性かの結果が出るまでの一週間、ただの脳内出血で大丈夫よ!と主人には内緒にし毅然とした態度を努力し、3歳の娘と世間はクリスマス一色でキラキラ幸せに行き交う繁華街の人混みを毎日電車で病院まで面会しに行ってました。

悪性なら5年ももたない の言葉が辛く、帰りの電車の中で娘を抱きながら大泣きしていました。

中国人の親子が前に立ち、ディズニーショップ帰りの袋を持った男の子が、袋と同じキャラクターの髪飾りをしている娘の頭を見て、買ったばかりのミニーちゃんのキーホルダーを娘に渡しました。

中国人のママは優しい声で Merry X'mas present for you.と言って電車を降りて行きました。

神様が泣かなくていいよ結果◎と言ってくれたようで涙が止まりました。
結果◎今は元気に働いています。
あの時頂いたミニーちゃんは、今も我が家の守り神です。
優しい言葉を ありがとうございました。



32.み 2010年4月22日 21:12
ありがとう

いやぁ、皆さんの話に感動しまくりで、私は何に救われただろう、と考えました。

私は兄と8歳違い。私が物心ついた時には不良(苦笑)。母は幼稚園の時に家を出ており、『家族』は冷えまくりでした。母と小学5年の時に再会した時の母からの言葉は「あなたはパパが酔っぱらって乗っかってきてできたのよ」でした。家庭が冷えててネガティブだった私には「私なんでこの世にいるんだろう」と思わせるばかりでした。

駅のホームで「ここで線路に落ちちゃえば・・・」と考えたことも度々。でも、そんな私を愛してくれる彼と出会えました。たくさんの話をして、「生まれてきてくれてありがとう。生きてきてくれてありがとう。そして俺を愛してくれてありがとう」と言われた時、やっと私がこの世に存在する意味を理解できた気がして・・・私のほうこそ「私に生きる意味を与えてくれてありがとう」でした。



33.どんべ 2010年4月22日 22:22
「見ていてくれてありがとう」

小学校時代仲が良かったAが、中学に上がり不良になりました。
そして当時堂々としていた私はいじめのターゲットになり
Aからもいじめられるようになりました。

負けず嫌いの私は不良達と毎日対等に張り合っていたのですが
ある日プチッとキレた私は机を張り倒し
不良達に向かって叫びました。
その時不良側にいたAに向かって「Aは変わっちゃったね!」と号泣しながら訴えたのです。
あまりの騒動に私と大人数の不良の周りは学年中の生徒に取り囲まれていました。


それから一週間後、商店街でAのお母さんに声をかけられました。
「Aのことを見ていてくれてありがとう」

何のことかわからず話を聞くと
私がキレた日、Aは家に帰り母親に
「…ねぇ、お母さん。
私は変わっちゃったのかな?
今日どんべに変わったと言われたんだ…」

と涙を流したのだそうです。

Aのお母さんもその話をしながら泣いていました。
そして何度も「ありがとう」と言ってくれました。



あれから15年。
思春期の問題ある児童に関わる仕事についています。

「気持ちは必ず伝わる」

Aのお母さんから教えられました。



34.カイラスさん 2010年4月22日 22:23
高速道路の料金所で

素敵なトピをありがとうございます。

5,6年前のことですが、一人暮らしをしていた赴任先で心身ともに疲れきっていたときのことです。仕事が思うように運ばない、彼ともうまくいかない・・あの頃は自分のことが嫌いで仕方なかったように思います。

眠れない日が続き、このままではいけないと、非番の前夜に高速に乗って実家に帰りました。情けないことですが、両親の顔を見たくて仕方がなかったのです。

数時間のドライブを経て、料金所で車を止めると、係のおじさんがにょきっと出した手には「飴玉」が乗っていました。にっこり笑って「運転、お疲れさまです」

ただでさえ泣きそうな状態に、想定外の温かい言葉と心遣い。胸って本当にあつくなるんだな、と実感したことを覚えています。

今は高速といえばETC車両が増えていますが、ETCだったら経験できなかった人の温かみを感じることができました。料金所のおじさん、本当にありがとうございました。



35.マキ 2010年4月22日 23:10
タクシーのおじちゃん!!

初めての出産でひどい産後鬱になり、里帰りしてた実家で包丁を取りだし、娘と死ぬと騒動を起こし、兄に追い出され、タクシーに乗り家に帰ってました。
タクシーの中で号泣し、仕事中の夫に帰ると電話をしたあと、急にタクシーが止まりました。

「今、思う存分泣きなさい。辛いことはこれからもたくさんあるけど、あなたにはかわいい娘さんがいることを忘れてはいけないよ。きっと娘さんの笑顔があなたを助けてくれるから頑張るんだよ」

それだけを言われて、わたしが落ち着くまで1時間近く付き合ってくれました。それから5年たち三人の娘を育てていますが、笑顔が絶えない毎日を過ごしてます。あの時のおじちゃんのおかげです!!



36.ひとこと・ひとごと 2010年4月22日 23:32
感動

皆様のお話を読んでて、とても心洗われた気分になりました
言葉って魔法だなーって思ってしまった。



37.さらだまき 2010年4月23日 1:17
変わってないよ。

10代の頃、家庭環境のごたごたをきっかけに、グレてました。金髪で化粧にピアス、制服を着崩して学校は退学寸前でした。

ある日地元の駅で偶然、昔近所に住んでいた10歳以上年上のお姉さんに出会いました。私はすぐに気づきましたが、私の変わりように向こうは気づかないか、気づいても見なかったふりをするだろうと思ったら、真直ぐに私のほうにやってきて、「XXちゃんでしょ?大きくなったね、私のこと覚えてる?」とニコニコしながら話しかけてきたのです。ほんの数分たわいのない話をした後、「よくわかったね、私変わっちゃったでしょ?」というと、「すっかりお姉さんね。背なんか私よずっと高くなっちゃったね」と笑って言ってから、すっと私の目を見て

「でもね、優しくてがんばりやさんなとこはちっとも変わってないよ。私の知ってるXXちゃんのまんまだよ」

この一言がなかったら、私は薬や犯罪に手を出して落ちるところまで落ちていたかもしれません。彼女のこの言葉のおかげで、退学になってもいいと思っていた高校をなんとか卒業し、浪人しましたが大学に進学し、いま普通に生活しています。

本当にありがとう。



38.前を向いて 2010年4月23日 11:11
日本中の人に

本当に素敵なトピで、涙をこらえるのが大変。


たった一言でこんなにも救われる人が大勢いるなんて。
心の貧しい時代、このトピを日本中の人が見て、日本が変わっていったら
どんなに素晴らしいだろうと思います。


感想だけでスイマセン。でも言わずにいられなかった!



39.月組 2010年4月23日 12:46
人生これからや!

もう20年以上前の話。

私は宝塚を受験、1次試験敗退でした。
18歳の小娘、九州からの受験で関西は良く分かりません。
不合格を知って、どこかに寄るわけでもなく、
そのまま帰りの船に乗るため、港近くの喫茶店に入りました。

店内は、まだ「モーニング」の時間。
小さい店ながら、そこそこ繁盛しており、お客さんたちは、それぞれの時間を過ごしていました。

私は、オーダーのあと、ずっと不合格を嘆き、泣いていました。
すると、ある一人のお客さんが声をかけてくれました。
理由を話すと、
「宝塚を受けたことだけでも、立派!」と言ってくれ、
次第に店内にいたお客さんに話が飛び火。
「人生、これからや!」
「あなたを応援してる人が、大阪にはぎょうさんおるで!」と、
店中の人が、口々に励ましてくれました。

本当に、あのときの感謝は、今でも忘れられません。

関西人の心の温かさに触れたときでした。
あのときのみなさん、ありがとうございました。



40.未熟者 2010年4月23日 12:48
天使

二人目を妊娠中に体を壊し、病気と怪我とフルタイムの仕事、2歳の長女の世話に追われて、くたくたでした。
妊娠も後期だというのに、食べられず眠れず、1ヶ月で5キロ痩せ、おなかの子の体重増加もストップしてしまいました。

長女がのんびりと就寝の支度をするのを見ながら、少しでも早く横になりたい私は
「早く着替えて!ママは疲れてるの、少しママを助けてちょうだい!」と彼女に向かって声を荒げてしまいました。
すると、とたんにキッと厳しい顔になり、
「わかった!ママ疲れてるのね。待ってて。いま○○ちゃんが、ママをむぎゅーっとしてあげるからね!!」

天使だと思いました。
自分が恥ずかしかった。
もっともっとがんばります。



41.はる 2010年4月23日 13:07
仕事と妊婦の葛藤中

心あたたまるトピですね。

私の妊娠中の話です。

長年正社員で働いていたのですが、小さい会社で、一人一人の仕事量も
多い所だったので、妊娠中も産休ギリギリまで朝早くから夜遅くまで
(帰宅が0時になることも多々)働いていました。

体はしんどいし、お腹の子どもにも、そしてもちろん心配して
くれる夫にも申し訳なくて。

産休まであと1日という時に、上司(男性)が私の仕事をしている
姿を写真に撮ろうと言うので、照れるからいいですって断った
ところ「これは生まれてきたお子さんが大きくなった時に見せて
欲しいから。お母さんはこんなに頑張ってたんだよって見せて
あげて」と・・・

その言葉で涙があふれ、職場のトイレにかけこみ泣きました。
ずっと気を張ってた糸が切れたように。

今まで直接言われた事なかったけど、そうやって考えてくれてる
人がいた事だけでも有難いなって。

まだ子どもが小さいのでその写真の話はしていませんが
いつか必ず見せたいと思います。



42.M 2010年4月23日 15:12
もう15年前の事

親と同居していた20代の頃、自分のおかした間違いを悔やんで、自分が情けなく、生きている価値もないと毎晩、声を殺して泣いていました。このまま泣き疲れて死んでしまうんじゃないかと思ったくらい。夜がくるのが怖かった。

ある日、仕事から自宅に戻ると、近所でお通夜が行われていました。
自ら命を絶たれた、歳の近い娘さんの悲しい悲しいお通夜でした。
私もお焼香をさせてもらうと、憔悴しきった娘さんのお母様が、

「Mちゃんは、お母さんを悲しませたらだめよ。」

と言ってくださいました。
その時の私の心中を知っておられるはずはなかったのですが、今の私があるのは、あの時の一言があったからと、いつも感謝しています。
精一杯、生きさせてもらいます。



43.匿名 2010年4月23日 17:16
スーパーのレジで

当時1歳と5歳の我が子を連れてのスーパーでの買い物。
大きなカートと、言う事を全く聞かない子ども達、

その日もやっとの思いでレジまでたどり着きました。
ふと私の後ろを見ると、レモンたった一つを持って並んだご婦人。

私のカゴは・・・と、大量の食材。
「お先にどうぞ」と順番を譲りました。

「ありがとう」と先にレジで会計をするご婦人。
ふと、レジ脇の食玩が目に入ったようでした。
さっとそれを手にすると、「これも」と会計に通しました。

あ~、この方も、うちと同じくらいのお孫さんがいるんだな・・・
そう思ったとき、「順番譲ってくれて、どうもありがと!」と
今レジを通したばかりのその食玩を我が子に持たせたのです。
見ず知らずの方だったのでお断りしたのですが、
「おかあさん、頑張ってるね!」と、ニッコリして、足早に去っていきました。

だれもがんばりを認めてくれない、それが当然という育児の毎日。
思わず涙がこぼれたのでした。



44.雅 2010年4月24日 7:05
親友の一言

10年前、同じ会社の彼と約2年付き合っていましたが、ある日、仲のよかった後輩から無邪気に「私、○○と付き合い始めたんです!」と告げられました。要するに二股をかけられていました。

色々あり、ボロボロでした。
体重もガクンと減り、酒と睡眠薬に頼る日々でした。

同じ頃、嫌な顔もせず飲みに付き合ってくれていた親友の海外転居が決まりました。
いつもの如く一緒に飲みに行った時、親友が言いました。

「雅。以前の雅に戻ってよ。
今の雅じゃ、私、安心して行けない。」

こんな嫌な私を見捨てず、付き合ってくれる温かい親友。
海外転居を控え忙しく、また不安や悩みを抱えるこの親友に、たかが二股掛けられたくらいでボロボロになり…余計な心配をさせてしまっていた。

私には、彼と比べものにならない程、この親友が大切だ。
そう思った時、ツキモノが落ち、スパッと別れられました。

あの一言で、私は自分を取り戻せました。
彼女のくれた言葉で、生きる屍だった私は生き返ることができました。
お互い家庭を持ち、離れていますが、彼女は今でも一番大切な親友です。



45.次女 2010年4月24日 9:55
出家

20数年の結婚にピリオドを打ち…
それを母にも知らせずに、1人、実家に着きました。
母は、私の顔を見るなりニッコリと笑いまして…
「駆け込み寺にようこそ…もう、我慢しなくていいよ…。」
お母さん。ありがとう。



46.よしこ 2010年4月24日 10:11
2歳の息子の言葉

みなさんの素敵なお話に涙が出てきました。
他人ではありませんが、私にも忘れられない一言があります。

息子が2歳のときに、2年半ぶりに復帰した職場、
復帰前とは比べ物にならないほど過酷になっていた仕事環境、
体調や精神のバランスを崩して休む人もいました。
そんな中、私も辛くて、仕事から帰ってから泣いてしまったことがありました。

そうしたら、息子が言うのです。

「おかあさん、どうしたの?」
「お仕事で辛かったの」
「だいじょうぶ?あしたはやなことないよ」

自分だって通い始めた保育園で泣いてばかりだったのに
さらっとそんなことを言ったのです。
うわーっと泣いてしまいました。

今は5歳のやんちゃ盛りですが、今もとてもやさしい子です。



47.今は大阪弁大好き子 2010年4月24日 12:08
見知らぬ人々の暖かさ

一言ではなく、人々の行動なんですが、、、。

関東出身の私。実をいうと関西弁・大阪弁がすごく苦手でした。すごく怖いというか、、。単にイメージが悪かったんです。(ごめんなさい。)
でもっ!10年前のあの日、その間違ったイメージをひっくり返す事件が起きたんです。

場所は、大阪市内の地下鉄の中。出張中の私にいきなりすごい腹痛が、、、。脂汗がでてきて、、前に座ってたおばさんが、「お姉ちゃん、顔色すごい悪いけど、どーしたん?大丈夫かぁ?」ときいてくれたんです。

私は息もきれぎれ、「おっ、お腹が、痛くて、、。」すると、隣のおじさんが「そらっ、大変や!」「お医者さん、乗ってへんか?」と叫んだんです。他の乗客も次々と「医者どこや~?」と大騒ぎになって、なんと隣の車両から本当に医師を連れてきてくれる人が、、、。
次の駅でお医者さんと私を担いでくれてた2人が降りて、救急車で運んでくれたのです!
降りるその瞬間まで、「しっかりしいや。」「もう、大丈夫やで。」と口々に声をかけてくれる人々。すごい痛みの中で本当に心強く、感激でした。

イメージって、、。なんなんでしょうね。
大阪のみなさん、その節はありがとうございました。



48.ぽー 2010年4月24日 12:47
私も…

先日主人と初めて子供たちの前で大喧嘩してしまい…私は取り乱しました…。
主人は怒り…「今日は帰らない!」と家を出ました。
その後、言い過ぎた…と冷静にはなったものの…子供たち寝る時間に。
3人の子供たちを寝かしつけているとき、出てくる涙をこらえていました。

そしたら5年生になった長男に…「泣きたい時は泣いていいんだよ…」と言われ、
こらえていた涙はあふれ…一人泣きまくりました。
そして朝…息子から「パパへ」の手紙を発見。
2人が大好き、仲良くしてほしい…と、読んでまた涙…。
子供たちに心配されるなんて、情けない…と思ったのと同時に、
子供たちの成長を感じずにはいられませんでした。

その後主人とも仲直りし、元通りの生活をしていますが、今思い出しても目頭が熱くなります。


49.ひとりっこ 2010年4月24日 16:56
破水して

予定日より一ヶ月近く前に破水してしまい、病院にいくことに。
夜中だったこともあり、電話をしても、中々タクシーがつかまらず、事情を話してやっときてくれた運転手さん。
ご迷惑かけないようにとバスタオルをたくさんまいて乗り込んだ。降りる時に「もし汚してたらごめんなさい。お釣はいいです」と、多めに出したら
「お母さんになるんだから、節約しなきゃ。こんなおめでたい送迎は、こっちも嬉しい気持ちになるんだから頑張って」と笑顔で返されてしまいました。
子育てしている中で、辛いことがあるとおじさんのあの笑顔を思い出します。



50.おーえる 2010年4月25日 17:01
キラキラ

仕事で疲れ果て体調ボロボロでかかりつけの婦人科に行った時のことです。

精神的にもまいっていたけれど、精神科にかかる勇気もなく、

「気持ちの落ち込みやイライラが止まらないんです。」と先生に話すと

高齢で耳の遠い先生に「え?おしっこの検査?」と聞き返され

ガクッとして半泣きになりがらもう一度言おうとすると

看護師さんが「気持ちが落ち込むそうですよ」と先生に伝えてくれました。

そして私に「忙しいんですね、大変ですね。でも私には頑張ってて輝いて見えますよ。」と声をかけてくれました。

その瞬間はりつめていたものが解き放たれて号泣してしまいました。

落ち込むと今も思い出します。



関連記事

コメント

    ゴルフシューズ アディゼロ [url=http://www.fuconcke.com/メンズシューズ-new-balanceニューバランス-o4w63-1_25.html]アディゼロ f50-ジャパン trx hg lea[/url] <a href="http://www.fuconcke.com/メンズシューズ-new-balanceニューバランス-o4w63-1_25.html" title="アディゼロ f50-ジャパン trx hg lea">アディゼロ f50-ジャパン trx hg lea</a>
  • 268.アディゼロ f50-ジャパン trx hg lea
  • 2013/11/14 16:35

コメントの投稿






トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://comatome.blog.fc2.com/tb.php/62-f8655f94

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。